南カリフォルニアに住むしかなかった。

私は、2000年からアメリカに来て、アメフトの選手として活動している。最初の4年間は、1年のうち、日本半分、アメリカ半分だった。カリフォルニア州のロングビーチアフターショックというチームに移ったとき、グリーンカード(永住権)を申請した。弁護士から、「スポーツ経営学やコーチングを勉強していないから、選手を辞めたら次のビザはない。たとえコーチやオーナーになってもビザは下りない」と言われたからだ。当時はオーナーになるなんて思いつかなかったなあ。


グリーンカードは、2ヶ月ちょっとで送られてきた。グリーンカードには優先権があって、スポーツ選手は上のほうにいるので、発行されるのが早い。カードは、シーズンが終わる頃、チームの秘書箱に届いた。当時のオーナーから、「来年もうちのチームでやるよね?」と聞かれた。「わからない」というと、グリーンカードをホールドされた。


とにかく受け取らなくてはと、あの手この手でお願いしたのだが、ついには「まだ届いてない」と言われた。弁護士を巻き込んでの騒ぎになったが、「届いたかも知れないが、秘書箱の鍵をもっているのは私だけでない。私は見ていない」との一点張り。秘書箱の鍵を持っている他のチーム関係者は、「あの日来た、他の郵便物を彼女が開けている、あの日、彼女は絶対に秘書箱を開けている」と証言してくれたが、「そんな郵便は見ていない」と逃げ切られた。


私は、グリーンカードが再発行されるまで、日本に帰ることができなくなった。帰国できるまで、2年半の月日を要した。最初から2年半と言われたわけでなく、いつ発行されるとも知れず待つ2年半は、本当に長く感じた。


今まで、シーズン中は、所属チームが、住むところも、場合によっては車も、チームによっては、クレジットカードも渡してくれていた。しかし、私はシーズンオフも、アメリカで暮らしていかなくてはならなくなり、オフ中は、チームのいろんな恩恵を受けることができなくなった。

今も上手じゃないけど、このとき、もっともっと英語ができなかった私は、日本人の多く住む土地に住むことを選んだ。というより、グリーンカードの番号もわからず、ビザも切れて、次のチームとの契約もままならず、引越しさえもできない状況だった。



最初にチームと契約したときは、紅花で誕生日会開いてくれたのにな。

Betty Suzuki Official Ownd

The Pacific Warriors Owner / Player

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